備忘録/好きなものの話/日常

イキウメタグ作った方がいいのか?

プランクトンの踊り場(聖地X)で芹霊パロしたら、母ちゃん、社長、霊幻でそれぞれ克也が生まれそう。
やってほしいな〜、社長のところにいる芹沢に霊幻が「ちょっと蛇拳のポーズしてくれ」って頼んで??ってなってる克也に社長が「…こうだ」ってお手本見せてその通りにやってるところを写真に撮る社長…。
霊幻「うわ、蛇拳だ。」エクボ「あいつ普段から蛇拳とかするのか?」霊幻「しねえだろ、テレビとか見ないって言ってたし。」

しかし、芹沢の残り滓ができたとしてそれを最終処理するのは霊幻だと思うんだけど、はーツレェ…。
まあプランクトンの踊り場はそこがいいんだけど…。
初稿というのか、1回目の公演のプランクトンの踊り場では確か残り滓の息の根をちゃんと止めてて、2回目の聖地Xでは最後までは描写(?)しないんだよね。

どうせパロなんだから思いっきりハピエンにしたらいいと思う気持ちもあるけど、好きな部分が消えちゃったりするから悲しいよ。

なんでこの話で芹霊って言い張るんだろ自分、って思ったんだけど、やっぱり、元の舞台の2人に愛を感じるからなのかなあ。
正確には2人じゃなくてヒロインなんだけど…。
いやでもなあ…。
プランクトンの踊り場では、離婚しようとしてた旦那が分裂して、人間として重要なところだけは元に戻って、妻はもう旦那には愛はないと思ってるけど、残り滓が必死に生きて怯えてるのを見て「私が始末する」って決意する奥さんは、やっぱり旦那さんのことを愛してると思うんだよね。
元に戻った旦那のことはもう、見限ったとしても、確かに愛はあったというか…。
ただ、それももう残り滓を殺して終わらせたのかなと。

散歩する侵略者もだけど「無償の愛」みたいなものを描きながら、それを失わせることで浮き出させる脚本がツレェけど好きだ。
散歩する侵略者は、旦那の死体の中に宇宙人が入って「概念を教えてほしい」って言ってきて、概念を教えると自分の中から宇宙人に渡ってしまうので、最終的に「愛という概念は何か」を教えて欲しいっていう宇宙人に「あなたにそれを教えられるのは私だけ」(中身は宇宙人でも旦那の姿をしているからあなたの事を愛している)って愛を渡してしまって、概念奪った宇宙人は妻への愛を理解すると同時に自分が妻からそれを奪った事に絶望して終わるっていう。

これ以上に美しい愛の理解あるかよ…となってしまって改変は出来ないよね…。

芹霊の話がしたいのかイキウメの話がしたいのか…どっちもだよ!!